プロローグ

人物相関図(昭和63年〜平成元年)

ここで少々当時の周辺環境を列記していこうと思う。 高塚さのりの周囲には高瀬遙やりんごの他に種々雑多な人物達が出入りしていた。 漫画家のさだ・こーじや斉藤苑子、結城らんな等もそのうちである。一時期は同人作家・佐藤明機氏なども出入りしていた。 僕…

コミックラム(その2)

「コミックラム」を発行する司書房は水道橋にあり、僕の通う神田の大学からは歩いてすぐの距離だった。りんごの手伝いをするうち、知らず知らずのうちに僕もこの編集部によく足を運ぶようになっていった。きっかけはりんごの単行本の手伝いで2日ほど編集部に…

コミックラム(その1)

僕は運命論者である。 以前「出逢いとは奇異な偶然が重なって起きるものだ」と書いたが、偶然が重なることで必然が生まれるのだとも思う。 いずれ記す時もあろうかと思うが、師匠・ふくしま政美との出逢いも、何か大きな流れに押し流されてそこに辿り着いた…

コミックロリポップ

「迷羊通信」という小さなコピー誌がコミケの『イワえもん』こと岩田さんにチェックされるようになった、という事実は僕に大きな自信を与えた。発行4冊目を迎えた頃に参加した夏のコミケで、同誌は60冊を越える売り上げとなった。その全ての表紙を手描きして…

ぱふ(その3)

会を離れるとなると、とたんに「いからち」内部での僕への風当たりは強さを増した。 「一人でやると言ったクセに山下を引き抜こうとしている」「個人サークルと云ってもまだ小さいコピー本しか作っていないくせに」云々。 もう、言われるままにしておくしか…

ぱふ(その2)

「ぱふ」で「いからち・4」がもっとも評価された点は、「読んでほしい」のに「本が売れない」というジレンマを前面に押し出した編集方針だった。その苦楽を本として現した部分に興味を持たれたらしい。 どういった形にせよ、「いからちの会」が外で認められ…

ぱふ(その1)

少し時間を戻すことにする------- ちなみにここからの3項は少々横道に逸れ過ぎた内容となるので、読み飛ばしても構いません。 お急ぎの方はプロローグ(6)ロリポップ> http://d.hatena.ne.jp/urashima41/20060410の項までスキップしてください。 漫画専門誌「…

同人誌ガイドブック

当時秘めやかに人気を誇った18禁アニメ『くりぃむレモン』シリーズのスマッシュヒット『ポップチェイサー』を例に挙げるまでもなく、「メカと美少女」はあの時代のキィ・ワードだった。この二項が描ける者が同人誌の紹介コーナーに載り舞台のコーラス・ライ…

美少女症候群

昭和60年。 その頃、創作同人の世界ではひとつのエポックメイキングな作家とサークルが出現した。 厦門潤とその仲間4人のつくる「THUBAN」である。 その同人とは思えない作品のクオリティの高さと、一冊の本としての構成力は特筆ものだった。 あの時代、創作…

漫画ブリッコ

大塚英志が編集長の『漫画ブリッコ』は、かがみあきら(あぽ)、藤原カムイ、白倉由美といった作家陣を配し非常にエキセントリックな誌面を展開していた。 「三大少年誌の一角を目指す」というキャッチフレーズも斬新だった。 ブリッコの文章コラムには評論家…

プチ・アップルパイ

美少女漫画ブームの夜明けが訪れようとしていた。大学に入る前年、代ゼミで浪人生活を送っていた僕は新宿の「まんがの森」によく通っていた。 そのギャラリーで『かがみあきら』の原画展が開催された。僕はこの展示で改めて彼の作品に触れ、ますますファンに…

前史

大学に進学した僕は、同人誌活動を始めた。 高校漫研OG会(部員は圧倒的に女子が多かったので)の即売会参加に付いて行ったのは、当時武蔵小杉でやっていたMGM。小さな創作オンリーのイベントだったが、そこには『楽書館』や『アップルBOXクリエート』といった…