人物相関図(昭和63年〜平成元年)

ここで少々当時の周辺環境を列記していこうと思う。
高塚さのりの周囲には高瀬遙やりんごの他に種々雑多な人物達が出入りしていた。
漫画家のさだ・こーじや斉藤苑子結城らんな等もそのうちである。一時期は同人作家・佐藤明機氏なども出入りしていた。
僕とほぼ同時期にこのグループに紛れ込んできた中に「ほっぴー」と渾名される人物がいた。
彼は砂倉そーいち氏の住み込みアシをしていて、本当のペンネームを明日香景介と言った。現在はゲームキャラクターデザイナーをしている。
砂倉そーいち氏は、かつて藤島康介氏と共に初期の江川達也氏のアシスタントをしていた人物。
砂倉氏の住む江古田のマンションには別の階に一時期青山剛昌がいた。

その江古田に下宿していた大学SF研の同期がアルバイトをしていたスナックの、常連客だったのが漫画家の山田貴敏氏。彼の飲み友達として、ソウル五輪で金メダルを獲得したレスリングの小林孝至氏がよく顔を出していた。同期の友人からの口添えで、両者とも顔見知りになり、幾度かそのスナックで同席させてもらった。ちょうど小林氏がソウルから凱旋したころ。金メダルも見せてもらった。営業の仕事なのでいつも持ち歩いている、という小林さんに「失くさないようにしてくださいね」と言っていた。
直後、小林氏は「金メダルを落とした男」として全国的なニュースになる。
僕は彼らに「こんどデビューするエロ漫画家です」と自己紹介していた記憶があるので、大体その頃のことだろう。

「ほっぴー」のバイク仲間が先述した「おぐ・ぼっくえ」。彼もまた「チャンプロード」などで連載を持ったこともあるれっきとしたプロ漫画家。互いに仕事を手伝い合ったこともある。正直、あのRAMRAコミティア以来、僕にとっては羨望の対象でもあった。
彼の居候するMEEくんの仕事場はさながら「エロ漫画家梁山泊」といった雰囲気だった。
後に人気作家となるえのあきら氏や神塚ときお氏、そうま竜也氏などが日々入り浸っていた。

早瀬たくみいぶきのぶたかと。女流作家ふたりはたくさんの猫と同居していた。

あの頃、高塚・砂倉(ほっぴー)・MEE(おぐ)、といった家をぐるぐる回るのが僕の日常だった。

そこに西崎まりのの五反田が加わっていくことになる。
まりのさんの家は「五反田雀荘」と揶揄されていた。それほど麻雀三昧だったのだ。
その後杏東ぢーながゼネラルプロダクツ(GAINAX)に就職し、会社のあった吉祥寺にもよく通ったものだった。ちょうど「おたくのビデオ」を作っていた頃。あれには当時の知り合いが沢山出演している。



前述のとおりに森林林檎は大学卒業後に就職。人気絶頂にありながら漫画家を廃業した。
高瀬遙はプロにはならず、やはり就職していった。
高塚さのりは僕のアシを勤めた後、現在司書房コミックドルフィン」目次ページで四コマを連載している。
GAINAXを経た杏東ぢーなは今はフリーのライター・編集者。雷門風太の名でデザインも引き受けつつYOUNG KINGアワーズなどに入り込んでいる。
大竹(仮名)氏は編集者としても優れたアンソロジー本等を残しながら月刊少年マガジンでもデビュー。近年では野々村秀樹氏のアシなどを勤め、野々村氏のキャラクター「まりんちゃん」の等身大ドールなどの製作にも携わっている。たまたま僕がトークイベントを開催した折に久々に再会。ゲストとして出演してもらった。僕が理科大の学園祭で「サザエさん」を観てから、18年の時が過ぎていた。
山下友美とはあれ以降会ってはいない。様々なことがあり一時期は筆を折る決意をしたこともあったようだが、今も漫画家を続けている。僕にとっては今も負けたくはない相手である。
岩田次夫氏とは以後も細々とながらつきあいが続いたが、平成16年に逝去。享年50歳だった。

(プロローグ・終わり)