2006-01-01から1年間の記事一覧

三回忌

きょうは三回忌。 いろいろと集まりやら誘いはあったけれど、 自分は自分なりの供養を。とりあえず、 まりのさんを偲びながら酒を酌み交わすことにします。

米やん

米澤嘉博氏、米やんが亡くなったよ、まりのさん。 肺ガンだったってさ。タバコの好きなひとみたいだったからね。これであの日のトークイベントに出てたまりのさんと米澤さん、イワえもんの3人もいなくなっちゃった。あ、岩田さんはドタキャンしたんだっけ。 …

サイバーコミックスとゼネプロ時代(その3)

「原稿破って捨てたァ? まりのさんが?」 「ええ、俺びっくりしちゃいましたよ」 「どうして?」 「いや、聞いたら『もうこの原稿は要らないから』って。自分の納得できる出来じゃなかったからみたいです」 「そんな、もったいない-----まりのさんのナマ原なん…

サイバーコミックスとゼネプロ時代(その2)

平成元年。すでに季節がいつだったかは記憶が欠落しているが、時期を考えると秋くらいのことだったのだろうか。 もはや、細かいことは思い出せなくなってしまった。それだけ年月が過ぎたのだ。 西崎まりのは、ガイナックス(ゼネプロ)の『サイレントメビウス…

サイバーコミックスとゼネプロ時代(その1)

バンダイから「サイバーコミックス」というA5平綴じ本が発行されていた。 編集を委託されていたのはゼネラルプロダクツ。後のガイナックスである。僕の印象では、ゼネプロは主に編集部門として社内に存在していた。当時、ガイナックスは『トップをねらえ!』…

誰が殺した、コミックロビン? (その2)

「『ロビン』が出なくなっちゃったんだ…」 山田編集長から告げられたそれはあまりにも意表を突いた一言だった。 都の条例だったかに「有害図書指定」というのがある。 たとえば月刊誌においてこれに抵触したと見なされた場合、一度目は警察署に「お呼び出し…

誰が殺した、コミックロビン? (その1)

もちろん、「奴婢訓」に至るまでの間、まりのさんと僕との関係が進展していなかったわけではない。 正確なところは既に記憶を欠いてしまっているが、様々な状況から推測して、僕が初めてまりのさんの住む五反田へ行ったのがこの頃だったろうとほぼ確定できる…

奴婢訓(その2)

しばらく更新を休んでいる間、今後の構成について考えをまとめていました。 かつて私の高校時代、地理はAとB、という教科に分割されていました。いま現在それがどうなっているのかは知りませんが、それぞれ「地史」と「系統地理」という、分類方式による教科…

訂正

さて、ここまで書き進んだところで前項において事実誤認、というか資料や時代を検証してみたところ、かなり自分の頭の中の思い込んでいたことと違うことに気付きました。 現在私のHP中の作品リスト http://www.justfitweb.com/works/history.htm を見乍ら、…

奴婢訓(その1)

実物のまりのさんを見た第一印象は 「オッサンじゃん…」だった。 たとえば僕も大好きな作家の松原香織氏なぞは、ある意味あの絵柄のとおりのイメージの、スタイリッシュで、いかにも繊細そうな風貌であった。 僕が「エロ漫画家」になろう、と思ったひとつの…

カズンズ

その日、午前四時。 電話の着信音で僕はふいに眠りから呼び戻された。相方の結城らんなからのコールだった。 「まりのさん、死んじゃったんだって!? 今、友達からメールが来たんだけど…」 「……ええ?」 仕事場で横になって一時間も経っていなかった。頭が一気…

水先案内、あるいは西崎まりのを記述する試み

誰でも一本くらいは小説が書ける。自分のことを記せばいいからだ。そんなことは千も万も承知している。 だから、残しておきたいとは思いながら、あえて表に出そうという気も無かった。少なくとも、生(き)のままでは。他人の赤ん坊のホームビデオを延々だらだ…

人物相関図(昭和63年〜平成元年)

ここで少々当時の周辺環境を列記していこうと思う。 高塚さのりの周囲には高瀬遙やりんごの他に種々雑多な人物達が出入りしていた。 漫画家のさだ・こーじや斉藤苑子、結城らんな等もそのうちである。一時期は同人作家・佐藤明機氏なども出入りしていた。 僕…

コミックラム(その2)

「コミックラム」を発行する司書房は水道橋にあり、僕の通う神田の大学からは歩いてすぐの距離だった。りんごの手伝いをするうち、知らず知らずのうちに僕もこの編集部によく足を運ぶようになっていった。きっかけはりんごの単行本の手伝いで2日ほど編集部に…

コミックラム(その1)

僕は運命論者である。 以前「出逢いとは奇異な偶然が重なって起きるものだ」と書いたが、偶然が重なることで必然が生まれるのだとも思う。 いずれ記す時もあろうかと思うが、師匠・ふくしま政美との出逢いも、何か大きな流れに押し流されてそこに辿り着いた…

コミックロリポップ

「迷羊通信」という小さなコピー誌がコミケの『イワえもん』こと岩田さんにチェックされるようになった、という事実は僕に大きな自信を与えた。発行4冊目を迎えた頃に参加した夏のコミケで、同誌は60冊を越える売り上げとなった。その全ての表紙を手描きして…

ぱふ(その3)

会を離れるとなると、とたんに「いからち」内部での僕への風当たりは強さを増した。 「一人でやると言ったクセに山下を引き抜こうとしている」「個人サークルと云ってもまだ小さいコピー本しか作っていないくせに」云々。 もう、言われるままにしておくしか…

ぱふ(その2)

「ぱふ」で「いからち・4」がもっとも評価された点は、「読んでほしい」のに「本が売れない」というジレンマを前面に押し出した編集方針だった。その苦楽を本として現した部分に興味を持たれたらしい。 どういった形にせよ、「いからちの会」が外で認められ…

ぱふ(その1)

少し時間を戻すことにする------- ちなみにここからの3項は少々横道に逸れ過ぎた内容となるので、読み飛ばしても構いません。 お急ぎの方はプロローグ(6)ロリポップ> http://d.hatena.ne.jp/urashima41/20060410の項までスキップしてください。 漫画専門誌「…

同人誌ガイドブック

当時秘めやかに人気を誇った18禁アニメ『くりぃむレモン』シリーズのスマッシュヒット『ポップチェイサー』を例に挙げるまでもなく、「メカと美少女」はあの時代のキィ・ワードだった。この二項が描ける者が同人誌の紹介コーナーに載り舞台のコーラス・ライ…

美少女症候群

昭和60年。 その頃、創作同人の世界ではひとつのエポックメイキングな作家とサークルが出現した。 厦門潤とその仲間4人のつくる「THUBAN」である。 その同人とは思えない作品のクオリティの高さと、一冊の本としての構成力は特筆ものだった。 あの時代、創作…

漫画ブリッコ

大塚英志が編集長の『漫画ブリッコ』は、かがみあきら(あぽ)、藤原カムイ、白倉由美といった作家陣を配し非常にエキセントリックな誌面を展開していた。 「三大少年誌の一角を目指す」というキャッチフレーズも斬新だった。 ブリッコの文章コラムには評論家…

プチ・アップルパイ

美少女漫画ブームの夜明けが訪れようとしていた。大学に入る前年、代ゼミで浪人生活を送っていた僕は新宿の「まんがの森」によく通っていた。 そのギャラリーで『かがみあきら』の原画展が開催された。僕はこの展示で改めて彼の作品に触れ、ますますファンに…

前史

大学に進学した僕は、同人誌活動を始めた。 高校漫研OG会(部員は圧倒的に女子が多かったので)の即売会参加に付いて行ったのは、当時武蔵小杉でやっていたMGM。小さな創作オンリーのイベントだったが、そこには『楽書館』や『アップルBOXクリエート』といった…

プロローグ(1)

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事務所でひとり酒を飲んでいて、 ふいにまりのさんのことを思い出し涙を流してしまった。駄目だなあ、やっぱ。 誰かに電話をしたいとか、話がしたいとか、 そういうとき、自分にとってはまりのさんがいちばんの相手だった。今、そんなことをふと思い立っても…