コミックラム(その1)

コミックラムvol.1、1987年11月


僕は運命論者である。
以前「出逢いとは奇異な偶然が重なって起きるものだ」と書いたが、偶然が重なることで必然が生まれるのだとも思う。
いずれ記す時もあろうかと思うが、師匠・ふくしま政美との出逢いも、何か大きな流れに押し流されてそこに辿り着いたという印象が強い。人生が動くときというのは、この様な、努力とかいったものとは全く別の、いくら努力しても叶うことのない、どうにもならない必然が生むものなのだ。
だからと云って努力しないでいい、ということでは無いが。
例えば高塚さのりと三度も出逢いの機会を得ていたのも、必ずその先に運命の道が通じていたからであろうと考えている。事実、まりのさんを始めとする様々な人々との必然の出逢いはそこから通じているのだから。
僕と西崎まりのとの人生の糸が絡むときは、もうすぐそこまで来ていた。



「コミックラム」が司書房から発刊されたのは昭和62年の9月。早瀬たくみいぶきのぶたかろひさとぶあ松原香織、もりばやしりんご等を執筆陣に迎えた隔月刊誌だった。それまで「劇画エロス」という本格エロ劇画誌を制作していた司書房は、この「ラム」から本格的にエロ漫画というジャンルに参入していく。『エロ劇画』は徐々に衰退し、「劇画エロス」もこの数年後に廃刊。時代は『エロ漫画』へと移行しようとしていた。
そして、この本の巻末には、西崎まりのの作品が掲載されてていた。

既にまりのさんは東京に出てきていた。
それ以前の彼について詳しくは知らない。大学以後、スナックの雇われマスターも一時やっていた、と語ってくれたこともあるが。名古屋を経て東京にやって来たのかも知れない。
まりのさんは、戸越銀座近く、五反田のヘンな名前のマンションに弟と同居していた。

僕が初めてこの「ラム」を手に取ったのは神保町の高岡書店。当時既に友人となっていたりんごの作品が載っているというので購入をした。
作品名は『少女探偵RINNちゃんの事件簿』。高塚さのりがアシスタントをしていた。
森林林檎は、既に3つの連載を抱える人気作家となっていた。
十月革命』という同人誌を見て僕に対しての評価が変わったりんごは、僕に手伝ってくれと声をかける。アシとして彼の許へ通うようになるのは、この年の暮れあたりからだったと思う。僕が主に手伝っていたのはこの『RINNちゃん』だった。

この頃、高瀬遙と森林林檎、高塚さのり、そして僕とで高塚の家に一ヶ月ほど合宿のように泊まりこんで4人で合作漫画を作ったりもした。残念ながら完成には至らなかったが。これもまた幻の作品である。

高田馬場の「まんがの森」では当時ロリコン系の漫画家のサイン会が頻繁に催されており、りんごもこの時期におこなっている。
それとほぼ同じ頃、早瀬たくみのサイン会が同所で催された。
僕や高塚はまだ彼女との面識前だったが、りんごのアシをしていた二人は冷やかし半分で赴いた。
業界内で顔の広い彼女らしく、店の外にはそうそうたるメンバーの漫画家たちが顔を揃えていた。
いぶきのぶたか、毛羽毛現、海野やよい…などなどなど。
(あくまでも記憶を頼りとしているので、思い違いの場合はご指摘ください…)
その中に、西崎まりのの姿もあった。
後にO子女史から『ホットミルク』の読者コーナーを引き継ぐことになる、当時は高校生の結城らんなもいた。彼女はまだ一介のハガキ読者に過ぎなかった。

おそらく、これが僕がまりのさんの姿を見た最初の日だったはずだ。

映画用語に"cut forward"というのがある。
あの日、あの場にはその後の僕の人生に関わる人々が眼前に現れていた。僕にとっての"cut forward"の瞬間だった。
いくら努力しても叶うことのない、どうにもならない必然。
昭和63年。春のことである。
(画像はラム創刊号裏表紙)