サイバーコミックスとゼネプロ時代(その1)

バンダイから「サイバーコミックス」というA5平綴じ本が発行されていた。
編集を委託されていたのはゼネラルプロダクツ。後のガイナックスである。僕の印象では、ゼネプロは主に編集部門として社内に存在していた。

当時、ガイナックスは『トップをねらえ!』を終え『ふしぎの海のナディア』のさ中くらいの状況だったろうか。
あの頃の社内の状況は『おたくのビデオ』がかなり詳細に伝えてくれている。(あの作品には当時の知り合いが数多く実写パートで実際に出演している)
会社への階段を昇ると、正面には「怪傑のーてんき」の巨大な写真パネル。社員たちは毎日この「のーてんき」を拝みながら出社するのか…といつもそれを見るたびに思った。
分別ゴミの貼り紙にノリコやお姉さまの落書きがあったり、アニメ部のほうには『王立宇宙軍』の題字に使われたらしい筆文字がうやうやしく額に飾られていた。

僕がまりのさんのところへ通うようになって直ぐの頃、平成元年初めに西崎まりのは「サイバーコミックス」で「FΦU」というガンダムの読み切りを執筆する。
大阪時代からのよしみでゼネプロの編集長とは旧知の仲だった縁で引き受けた仕事だった。本人も、それほど乗り気な仕事ではなかったのではないかと思う。正直、僕もあの作品はあまり評価はしていない。
けれどこれをきっかけにして、まりのさんとその周辺はゼネプロ編集部と関わりを持っていく。
本人だけでなくその周りにいた人々も一緒に引き擦られて動いていく、というのは、まりのさんがなぜだか親分肌、というかグループの中心だったからだ。人柄だろうか、彼の周りにはいつも多くの人がいた。みんなまりのさんを慕っていた。

あるとき、まりのさんとまったく連絡がとれなくなった。携帯もない当時、固定電話しか通信手段がないので、家にいなければもうどうしようもない。
もっとも、まりのさんは生涯携帯電話は持たなかったけれど。
仕方なく留守電にメッセージを残しておいたら、数日後連絡が返ってきた。
「ぜんぜん連絡とれなくて、どこ行ってたんですか?」
「いやいやー、じつはゼネプロにカンヅメになってたんすよ…」
まりのさんは急遽頼まれてPC用ゲーム『サイレントメビウス』の作画をしていたのだった。