奴婢訓(その1)

実物のまりのさんを見た第一印象は
「オッサンじゃん…」だった。
たとえば僕も大好きな作家の松原香織氏なぞは、ある意味あの絵柄のとおりのイメージの、スタイリッシュで、いかにも繊細そうな風貌であった。
僕が「エロ漫画家」になろう、と思ったひとつの理由にこの松原氏の存在が大きい。氏の登場はエロ漫画というジャンルの幅の広さを示していた。隠さずに言うが、自分が絵柄を変える際、氏の影響を最も受けた。アイドルを追いかける如く、それほど松原香織に熱中していた。
もっとも、当初は本当に女性だと僕も思っていたが。
だが、西崎まりのはと云えば明治時代の書生のようなザンバラ頭と無精髭、「今時ねーよ」というほどの牛乳瓶の底のようなぶ厚い黒縁メガネ(彼はとても視力が弱かった)。チェーンスモーカーで常に煙草を手放さず、昼から缶ビール(しかも720mi !)をあおっている…
とてもこの人があの繊細な絵を描いているとは思えなかった。

けれど、そのくせ何故かとても女にモテた。
飲み会をすれば必ず脇に誰かしら女性が付いたりしていた。
いつも黒いコートを纏い、煙草を吸いながら歩くその姿はとてもカッコよかった。

それを見て、僕はまりのさんに『ボヘミアン』を感じた。
憧れだった。普段は「まりののおやじ」と僕は表していたけど。



『奴婢訓』というのは、寺山修司の戯曲の題名である。
浪人時代から僕は次第に寺山に傾倒し、氏の劇映画や実験作品を当時あった高田馬場東映パラスなどに通い詰め観まくっていた。残念ながらその戯曲は観てはいないが、『奴婢』という言葉の妖しい響きが気に入り、自作のタイトルに拝借してしまった。
物語は、何者かに監禁された少女が日々凌辱をされ続けるというもの。

ロリポップ」では「カズンズ」の短期連載が始まった。センチメンタルなエロスコミックを続けて描くことになり、司ではそれとは違った毛色のものを出そうと考え、この「奴婢訓」を持ちかけた。
が、編集長の山田さんはこの企画をあっさりと一蹴した。「内容がクラい」というのが理由だった。
当時の購買層にはレイプなどの凌辱的な内容は人気が無かった。凌辱ものが幅を利かす昨今とは雲泥の差である。
仕方なく、僕はいったんこの企画を眠らせることにする。もう少し時間が経ったら改めて出してみようと考えた。
ところが------------------

平成元年3月末、未曾有の事件が発覚する。
日本中を震撼させた、綾瀬女子高生監禁強姦拷殺コンクリート詰め死体遺棄事件、である。

そして、同じ頃都内各地では幼女たちが神隠しに遭ったように消えていた。

エロ漫画界に嵐が近づいていた。だが、それを予測していた者は誰もいなかった。更に大きな嵐がやって来ることも。
[4/25改訂]